「オール沖縄」の牙城に風穴開けた県外出身・元自衛官 那覇市議選

オール沖縄」の牙城に風穴開けた県外出身・元自衛官 那覇市議選(産経新聞 2017年7月21日)


任期満了に伴う那覇市議選(定数40)が9日投開票され、自民党新人の元自衛官、大山孝夫氏(36)が初当選を果たした。沖縄県はもともと「反自衛隊」感情が根強い土壌だ。事実上の県外出身者たる大山氏にとっては“完全アウエー”での戦いだった。退官から約3カ月。突貫工事で挑んだ短期決戦で凱歌を上げるに至り、自民党県連幹部も一様に「奇跡だ」と驚いた。大山氏の当選は、沖縄県に“地殻変動”が起きていることを印象づけた。(21日の記事を再掲載しています)

大山氏の父親は、航空自衛隊の戦闘機操縦士だった。那覇基地所属の207飛行隊員として沖縄、日本の空を守っていた昭和55年12月、大山氏は那覇自衛隊病院で生まれた。その直後に宮崎県の新田原(にゅうたばる)基地の204飛行隊に異動となり、一家で引っ越した。

しかし父親が操縦する「T33」練習機が訓練中に墜落し殉職した。生後9カ月のことだった。大山氏は母親の実家がある福岡県築城町に移り、女手一つで育てられた。そんな母親に感謝しつつも、福岡県立豊津高校時代には「不登校」を経験するなど荒れた時期もあった。

人生を決めたのは高校3年のときだった。制服姿の自衛官が自宅を訪れ、亡き父親に焼香をしてくれた。「父と同じ空自のパイロットになりたい。それも戦闘機ではなく、事故に見舞われた父のような操縦士を助けに行く救援ヘリコプターのパイロットに…」

空自のパイロットといえば倍率40〜50倍という狭き門だ。努力を重ねて首尾良く平成11年に空自航空学校に入った。厳しく過酷な訓練を経て救難ヘリのパイロットになる夢をかなえた。

松島基地宮城県)を振り出しに9回の転勤で全国各地を飛び回りまった。救難ヘリのパイロットとしては松島基地(松島救難隊)と那覇基地那覇救難隊)に所属。入間基地(埼玉県)で輸送ヘリのパイロットへの「機種転換」の飛行訓練を受けていた平成23年3月、東日本大震災に直面した。

そして春日基地(福岡県)を経て27年8月、再び那覇基地に戻った。

「低海抜地域が多い那覇市で、東日本大震災レベルの地震に見舞われたら…」

自衛隊はあくまで被災した人を助ける仕事。災害を防ぎ、被災する人を作らなくするのは行政、政治しかない」

自衛官の壁」を感じた大山氏は昨秋、政治家への転身を決意し、那覇市議選への立候補を目指すことを胸に秘めた。

沖縄本島を上空から見てきたことも、厳密に言えば“落下傘”となる「那覇」に照準を合わせる理由となった。人口密集地である平野部の標高は驚くほど低いことを痛感したのだ。

自身の熱い思いに対し、春日基地時代に福岡県で知り合った妻の華代さん(28)=沖縄県読谷(よみたん)村出身=も寄り添い「政治家をあきらめて、将来那覇が被災して多くの人を助けることができなかったら後悔するでしょ?」と応援してくれた。

大山氏は今年3月、18年間身を置き、あれほどまでに誇りを持っていた自衛隊を後にした。むろん現職中は政治活動は一切できない。退官後、間髪入れず自民党県連の那覇市議選候補の公募に応募し公認の内定を得た。とはいえ市議選まで約3カ月。時間がないなかで、ゼロからの出発だった。

那覇市議選は、翁長雄志(おなが・たけし)知事(66)を支持する勢力が改選前(欠員5、総数35)の20人から18人に後退し、過半数を割った。翁長氏にとって那覇市長を4期務めたお膝元での支持派の退潮は、来秋の同県知事選に向けて打撃となった。

当選者の翁長氏に対する立場の党派別内訳は、支持が共産党7人、社民党3人、地域政党沖縄社会大衆党2人、民進党1人、無所属5人。不支持は自民党7人と無所属2人。自民党は改選前から3議席増やした。中立は公明党7人と日本維新の会1人、無所属5人(うち維新推薦1人)。

翁長氏の次男で無所属新人の雄治(たけはる)氏(30)は父親の“威光”を背に大量の4163票を集めて2位当選を果たした。しかしその余波で、知事に極めて近い、複数の無所属現職の市議会重鎮が落選の憂き目を見た。

那覇市政の与党は、米軍普天間飛行場宜野湾市)の名護市辺野古移設反対を金看板に翁長氏を支える超党派オール沖縄」勢力の中核をなす。同勢力は今年実施された宮古島浦添、うるまの県内3市長選で新人を支援して自民党が推す現職・前職に全敗し、那覇市議選を含めて事実上の4連敗を喫した。「オール沖縄」の牙城に風穴を開けた大山氏の当選は、その退潮を象徴する“大事件”となった。

大山氏は2640票を獲得し13位で当選した。新人候補では知事の次男に次ぐ2着。現職を含めた自民党候補の中でも2位に入る健闘ぶりだった。

しかし、これは身内の自民党県連も予期せぬ番狂わせだった。「公示日直前の個人の決起集会に集まった支持者も30人程度。党の他候補には概ね100人参加したことを踏まえれば、大山氏は泡沫(ほうまつ)候補ともみなされていた」と県連関係者は打ち明ける。

無理もない。沖縄県は「元自衛官」を歓待してくれるお国柄ではない。まして那覇市は出生地に過ぎず、血縁者も同級生も地盤もなし。周囲で支える人たちも、そのほとんどが選挙の素人だ。まさに蟷螂(とうろう)に斧の戦いだった。

しかし大山氏はあえて「元自衛官」と「県外出身」に加え、「公職選挙法違反はしない」を前面に掲げて選挙戦に挑んだ。尋常ならざるビラのポスティングや巨大な候補者名の入った垂れ幕…。選挙違反がまかり通る「公選法特区」と揶揄される沖縄県では重要なことだった。高校の2年先輩で福岡県行橋市議の小坪慎也氏(38)が駆け付け、選挙態勢を整えた。

選挙期間中、当初は有権者から心ない言葉を浴びせられたり、選挙カーに筆記具を投げつけられたりもした。だが「個人から個人」へ情報を広げるネットの力は大きかった。「泡沫候補」がいつしか当選圏内に入り、上位当選した。

自身の当選について大山氏は「閉塞感が漂う沖縄県で市民が新しいものを求めていた。那覇市議選で吹いたこの風は、来年秋の県知事選に向けて『オール沖縄』を崩す突破口になる」と力を込めた。空自のシンボルカラーである濃紺から引用した青色のネクタイがトレードマークだ。

自民党県連の翁長政俊幹事長(68)=県議=も、“大化け”した大山氏の奮闘に目を細めながら、こう言い切った。

那覇市は県内の他市町村に比べて、勤務などで本土からより多くの市民を迎えている要因も大きい。自衛隊への抵抗感はそれだけ小さいのだ。ウチナーンチュ(沖縄の人)の市民は本土との融合を願っているが、『琉球新報』と『沖縄タイムス』が“アイデンティティ”をかざして妨害し続けてきた。もうそんな時代ではない。明らかに地殻変動が起きている」

県都那覇市は県内最多の人口を抱えている。それだけに、次期知事選に向けて翁長知事と「オール沖縄」は、市議選の結果に衝撃を受けたことは間違いない。知事選の帰趨(きすう)は、左派色が濃い大票田・那覇市有権者動向で大きく左右され、「オール沖縄」の瓦解は、那覇市で始まると言っても過言ではないからだ。自民党県連幹部は「『オール沖縄』の保守系支持層が自民党に戻ってきていることを示した」と胸を張る。