青山繁晴のゴーストライター論

【青山繁晴】高杉晋作と硫黄島、ゴーストライターについて(「青山繁晴が答えて、答えて、答える!」2013年4月19日)


僕はいつも具体的なお話をしてますから。(中略)僕が本当に驚いた現代日本の事実をお話しすると、組織の名前とか関係者の名前はもちろん拷問されても申しませんですけれどね。ある時――共同通信の記者を辞めてから、ある人に「青山さん。ちょっとねえ、あなたは期待はずれなんです」と言われたんですよ。(中略)言ってくれた人が僕が尊敬・尊重してた人だったので、心して聞こうと思ったら、「期待はずれ」というのが要は「1ヶ月にいっぺんぐらい本を出してくれ」という話なんですよ。

僕が「青山。あなた、プロの書き手なんだから、ちゃんと書きなさい」という意味かと思って、正直僕は「一字一句句読点までこだわるので、1ヶ月にいっぺんというのは仮に物書き専業になってもおそらくできないので、ご期待にそえません」と申したら、「何言ってるんだよ。違う違う」と言われて。そして、共通で知ってた――もう亡くなりましたが、とっても有名なエコノミスト――それも一斉を風靡したくらいの著名な人について、その方がお話しされたのは「あの人は本なんか書いてないよ」と。で、本当に毎月、出てるんですよ。で、全部売れるんですよ。

その本というのはどうやって作っているのかを、その方がまるで当然のことのように話されて。その当然のように話されるのも僕は驚いたのですが。

つまり、講演に例えば行かれますね。恐らく、飛行機が嫌いだったのでしょうね。結構遠くでも新幹線で行かれると。新幹線に乗られる時に、優秀な人材を新幹線の隣の席にまず乗せて、全部、その組織のお金でやるんですよ、そして、そのすごく有名なエコノミスト――もう亡くなりましたけども、その方は何をなさるかというと、あらかじめそのスタッフが用意した新聞とか雑誌を新幹線の中でご覧になる。ご覧になる時にどうされるかというと、新聞の記事とか雑誌の記事に丸を付けるんですよね。それだけです。それで例えば、京都や大阪に3時間前後の間そうやって作業をされて、それで1冊分は勿論のこと、場合によっては複数の冊数の本ができるんだと。

僕はその時点で「えっ、本ができるってどういう意味か」とびっくりしたのですが。

そして、新幹線を降りて、その著名な方が講演をされてますよね。講演されている間に、著名なスタッフがまず控室で赤い丸がついているやつを切ると。切ったら、台紙に順番を並べていくわけですよ。順番は著名な方は何も指定していないんですよ。優秀なスタッフが「きっと、こういう感じだったらいいんじゃないか」みたいに――全部、他人の書いた記事ですよ、それを並べていくと。

しかも、(中略)その著名な方は(講演時間が)90分って決まっていたら、それ以上は絶対にやらない。つまり、対価に対して話しているんだから、その方にとっては恐らくビジネスだったから、絶対に延長はないわけです。普通、(講演時間は)長くて90分以内、短いと45分だったりします。

その間に(並べていく大変な作業を)なんとか並び終えて、また帰りの東京に向かう新幹線に乗るでしょ。とりあえず、「これでいいですか」というのを新幹線を出発すると、見せると。その著名な方は――僕にその話を教えてくれた人は「要するに手間かけさせられないんですよ」と、つまり数分見て「ハイハイハイ」と滅多に文句を言ったりしないと。その殆ど原案のまま並べたやつが出来上がるわけですよ。その後、グッスリお休みになるわけですね。その新幹線が東京駅に着くと、もうオートバイさんが待ってて、そのオートバイさんが並び替えた他人の記事のコピーを受け取って、それをまさしくゴーストライターのところに運んで行って。ゴーストライターがその元記事がばれないように換骨奪胎というのか文章を変えてですね。元々テーマが決まっているわけですよ。例えばこれが仮に現代だったとしたら「アベノミクスは本当に効くのか」という、何かそういう問いかけのタイトルが確かそういえば多かったですよね。(中略)例えば「規制緩和とは何か」とかね。例えばですよ。実際のタイトルではありませんが。そうやって、あっという間に原稿が出来上がってですね、それを後は印刷所に持っていくだけで、そして1ヶ月に1冊以上は本が出て、そして固定の読者でそれが売れていくと

それで、その方は「それやってノウハウが確立されているんだから、青山さんもこれをやってくれると思ってたのに、あなたは全然そんなことをしないじゃないか」と言われて。

(これは)「(僕が)社会人になって34年の中で一番驚いたことのワースト5」には絶対入ると思いますね。だって、今の話だけでどれぐらい関係者いらっしゃいます? 僕にそうやって「あなたもこれやりなさい」と言った人――この人も地位すごく高い人ですよ。それから、すっごく有名だった――今でも名前を言えばどなたでもわかるぐらいの、著名なエコノミスト。そして、そこについてた博士号を持っているような優秀な人。そして、オートバイさんは違いますけど、そのゴーストライターも含めてね。どっからも、「これおかしいんじゃないか」という声が出ないで、どんどんベルトコンベア式に生産されていくという現実があって

そして、この話にはプラスアルファというほどじゃないけど、ありましてね。僕は憤慨したわけですよ、実は。(中略)「そんなことは私は絶対しませんと。何度生まれ変わってもそんなことはしないと。しかも、そういう問題じゃないと。それを読者に言えますかと今の話の片鱗でも読者に言えますかと。大体違法です、本当は。だって、著作権法にこれ明らかに抵触するじゃないですか。書き換えるとは言いながら、要は他人の視点で他人の取材で書かれたやつを、まるで自分で考え自分の情報を集めたように書くんだから。これは広い意味では、つまり法律という意味ではうまく抜ければいいというのではなくて、本来は法治国家というのは法律に定めた精神を大事にしましょうということなんだから。そんなことをしながら、世の中こうあるべきだとか経済はこう変えるべきだという話は全くおかしい」と憤慨をいたしましたら、僕に忠告をなさった方はまじまじとエイリアンを見る目で僕のことをご覧になって「青山さん、そんなことを言ってたら共同通信という大組織にいた時はともかくね、これから先やっていけないよあなたを心配して言ってるんだ」。そして、その方は何人も何人も何人も何人も何人も名前をあげられたんですよ。「みんなこうやって本を作ってるんです」と。

その人と言い合いをしてて、僕が一番気づかされたことあるいか気づいたことは、要するに「たいしたことない」と思っているわけですよ。何が「たいしたことない」というのは、「論稿であったりあるいは問題提起であったり、そんなものはまあ似たようなもので、本当はたいした差がないんだ」と。だから、「新聞や雑誌に書いていることと著名なエコノミストが書き下ろすことと本質的には差がないんだから、別に大きな違いはないんだから、それをもう一度再構成して活用するほうがまだ世の中のためになる」ぐらいのことを思っているんですよ。

こういうのを一言でいうと「退廃」と言うんですよ。その「退廃」がある限りは、どんな教育をしてもどんな国の新しい理想を掲げても、日本は決して蘇ることはありません。

(中略)

残念ながら、すごく高級なイメージを持ってる方々であったり、あるいは超高学歴、今話に出てきた人は全部――オートバイさんの学歴は正直わかりませんけれども、少なくとも僕が名前と顔が一致する人々はみんなビックリする超高学歴の方々ばっかりですよ。それが、実は敗戦後の日本だけではない、そもそも日本が戦争に負けた理由、戦争に負ける前から日本のいわば病としてあるのではないか?


青山繁晴の過去ブログ(断腸の記  「凄まじい話」の巻青山繁晴ブログ 2008年6月20日ウェブ魚拓))


もっとも、三菱総研の研究員だった時代に、凄まじい話を聞いた。

(中略)

三菱総研生え抜きのベテラン研究員が、こんな話を聞かせてくれた。

三菱総研には、一時代を画した、たいへんに高名なエコノミストがいた。

もう故人になられたから、この話もここに書くのだけど、テレビ出演も多く、一般のひとにもよく知られた日本を代表するエコノミストだった。仮にX(エックス)さんとしよう。

著作もとても多く、何冊もベストセラーになった。と言うより本を出せば、たいていはベストセラーの仲間入りをした。

ぼくが共同通信から三菱総研に移ったころには、もう高齢で第一線ではなかったが、まだしっかり在籍されていた。フロアが同じだったから、姿を拝見することもよくあった。

ベテラン研究員は、若いころに、このXさんにアテンドする役割だった時代があったという。たとえば、Xさんが京都へ講演に行く。すると新幹線のなかで、この研究員が用意した雑誌や新聞をXさんが、さぁーと読み散らし、記事のいくつかにボールペンで丸を付ける。それらはXさんの書いた記事ではない。すべて他人の記事である

京都に着いて、Xさんが講演をしているあいだに、研究員は、この丸が付いた記事を切り取り、『きっと、こういう順番だろうナァ』と考える順にその記事を並べて、スクラップ台紙に貼り、クリップで仮ファイリングする。

え? なんの順番かって?

それらの記事をXさん著の本にするなら、こういう順にトピックを並べるだろうなという順番なのだ。Xさんは講演を終えて、帰京する新幹線に乗ると、そのファイルを見て「ここは、この順番に入れ替えて」と指示したり、すこし何かコメントを言ったりするそれはさして長い時間ではない。Mさん(注:Xさん?)は、やがて寝てしまう。そのあいだ、研究員は記事の並べ替えをして、Xさんの一言二言のコメントを台紙の余白に書き込んだりする。東京駅に着くと研究員は、待機していたフリーライターに、そのファイルを渡す。

フリーライターは、このファイルをもとに適当に、180ページから300ページ弱ぐらいまでの読みやすい本の原稿に仕立てて、研究員に戻す。文体は「Xさん風」にちゃんと、してある。研究員はそれをチェックして、ほとんどそのまま出版社の編集者に渡す。やがて出版社からゲラが出るから、研究員がチェックして、出版社に戻す。

はい、これでXさんの新刊がまた書店に並び、好意的な書評も新聞に載り、かなり売れる。

Xさんは、フリーライターの書いた原稿をチェックすることもなければ、ゲラに触れることもない

ベテラン研究員は、自分の若い時代のこの仕事の話を、なぜぼくにしたか。

あのXさんだって、こうやって本を次々、出していたんですよ。時間がないことでは、青山さんはXさんより苛酷な状況なんだから、そんなに文章にこだわったりしていては本など出せませんよ。同じやり方をしろとは言わないけど、ざらっと柱だけ書いて並べて、あとは出版社のライターに任せればいいんですよ。ノンフィクションの本は、コンセプトが大事なんだから。(後略)」

ベテラン研究員は繰り返し、こう話した。  

もちろん、まったく皮肉とか、そういうものは混じっていなかった。本気で、そのように奨めていた。

(中略)

たぶんXさんには、自分が物書きだという意識が、全くなかったのだろう。

だからコンセプトを示せばよかったし、たとえば学者の論文にも、他人の論文を批評して、その積み重ねによって自分の論文として仕上げていく手法があるのだから、Xさんのようなやり方も、ひょっとしたら天が許すこともあるのかもしれない。

その通り、Xさんは、いわば幸な充実した仕事人生を、最後まで無事に終えられた。

Xさんの手法は、盗用とか剽窃(ひょうせつ)にあたるとも、必ずしも思わない。他人の文章をそのまま引用することはなく、ライターの手によって違う文章に書き換えられているのだから。Xさんのバランスの良いコンセプトが、どしどし世に出てくるのは、Xさんファンにとって幸せだったのだろう。

ある人の2008年6月20日のブログウェブ魚拓)によると、青山繁晴が指摘する「Xさん」は牧野昇東京大学工学博士、三菱総研会長、2007年死去)の可能性があると指摘されています。

ネット動画やブログでは青山繁晴は「一斉を風靡したくらいの著名な人」「今でも名前を言えばどなたでもわかるくらいの、著名なエコノミスト」「テレビ出演も多く、一般のひとにもよく知られた日本を代表するエコノミスト」と言っていたけど、私は牧野昇を知りませんでした。ただ、青山繁晴のブログでは殆ど「Xさん」で通しているのに、一部だけ「Mさん」となっているのが気にかかるけど…。

何が真実かは私にはわかりませんが、青山繁晴が指摘する「Xさん」が誰なのか気になる人は、この記事を見た上で各個人が考えればいいと思います。