日本人の礼節
2008年に出版した青山繁晴「日中の興亡」(PHP研究所)P232〜235
五年ほどまえ(注:2003年頃)のロンドン、ヒースロー空港での記憶だ。 大西洋を越えてワシントンDCに向かうユナイテッド航空(アメリカ)の便に、乗り遅れ、広いガラスのレストランで次の便を待っていると、ちらりちらりと春の雪が降ってくるのに気づいた。 もう春だからと気にせずにいると、機内に入るころには、十何年ぶりかの大雪になっていた。乗ったはいいが、全く動き出す気配もない。 隣には南米ジャマイカの飛行機がいる。 そのジャマイカ航空機からパイロットと・フライト・アテンダント(スチュワーデス)がどんどんタラップから降りてきたかと思うと、制服のまま、わいわい雪合戦を始めた。 雪はどんどん激しさを増し、これじゃ当分飛べないねと、雪が珍しいジャマイカ人はまずは愉しむことにしたらしい。 私は隣に座っていたアメリカ空軍の黒人の将校と顔を見合わせ、やれやれ、これはまだまだ何時間もかかるぞ、とにかくフライトがキャンセルにならないように祈るばかりだねと話していた。 そのとき、たくさん重なりあっている飛行機の尾翼のその中を、すーっと一機だけ抜けていくではないか。 その尾翼には鮮やかに赤い鶴のマークがあった。 日本航空機だけが、滑走路の方向に向かっているらしい。 わたしはまだ、隣の将校と顔を見合わせた。 そして、いったい視界から消えた日航機の尾翼は、左の奥から猛速で再び現れ、右の奥で最後に白い機体の全容を一瞬だけ見せて、重い灰色の雪空へすかっと飛び立っていった。 なぜ一機だけ飛べるんだ、われわれの飛行機はどうなっているんだと、アテンダントに聞いていると、今度は青い尾翼はすぅーと視界をよぎる。 全日空機だ。 誇り高きあまりか空軍のオフィサーは叫ぶように、わたしに聞いた。 「日本の機は、いったいどんな魔法を使っているんだ」 知らないよ、わたしも、びっくりなんだから。 ただ、むやみに気持ちが明るくなった。おのれの乗った飛行機は凍りついたままなのに。 それから何時間も経ったあと、今度は窓の外に、なにやら原始的な雰囲気の大きなマシンが現れてた。 ひとりの係員が巨大なシャベルを動かし、そいつで機の車輪のまわりをガジガジとこすり、雪をどけている。 パイロットの嬉しそうな英語のアナウンスが響いた。「みなさん、いま障害がなくなりました。これでわれわれは滑走路に進むことができます。滑走路は除雪されていますから、すぐに飛びあがることができます」 そしてアメリカを代表するユナイテッド航空の飛行機は、五時間遅れだったが、とにかくたいへんな遅れで大西洋へ向けて飛び立った。 なぜ日本の航空機だけ、飛ぶことができたのか。 その答えは、やがてわかった。 諸国のすべての飛行機が、雪を削るマシンが来るのをじっと待っているあいだに、日本の飛行機だけ、パイロットやアテンダントが総出で、自分たちで雪を削り、車輪を動かせるようにし、融雪設備のそなわった滑走路まで動いていけるようにしたからだった。 (中略) これはわたしたちの日本国だけにある、再興への素晴らしき根っこである。 |
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