IOC委員

誇り高くてミーハー 一筋縄でいかぬIOC委員(日本経済新聞 2013年9月6日)


国際オリンピック委員会(IOC)は7日(日本時間8日早朝)、ブエノスアイレスで総会を開き、2020年夏季五輪の開催都市を決める。招致を目指す東京、マドリード(スペイン)、イスタンブール(トルコ)の3都市は、投票権を持つ約100人のIOC委員にあの手この手で接近し、支持を求めてロビー活動を展開してきた。最近ではオバマ米大統領プーチン・ロシア大統領ら大国の国家元首までも競うように活動に加わる五輪招致レース。そのカギを握るIOC委員とは一体、どんな人たちなのか。


■11人が「大阪に入れた」、実際は6票
1964年東京大会後に日本から夏季五輪の開催都市に立候補するのは88年大会の名古屋(開催都市はソウル)、2008年大会の大阪(同・北京)、16年大会の東京(同・リオデジャネイロ)に続いて今回が4度目。過去3連敗の招致で、日本の立候補都市はIOC委員の想定外の投票行動に何度も涙をのんできた。

大阪が立候補した08年大会の開催都市は01年のモスクワ総会で決まった。大阪招致委員会の参与を務めた早大原田宗彦教授は、事前の票読みで「54票、いけまっせ」と予測する関係者さえいたと明かす。だが、実際に1回目の投票で獲得したのはわずか6票で惨敗。当時の日本オリンピック委員会JOC)の八木祐四郎会長(故人)は投票後、11人のIOC委員から「大阪に入れたよ」と声をかけられていた。匿名投票だから真相は分からない。間違いなく5人はうそをついたことになる。

■「1回目東京、2回目は別の都市」も

16年夏季五輪の開催都市を決めた09年のコペンハーゲン総会では1回目の投票で東京は22票を獲得。本命とみられたシカゴが最下位の18票で脱落する意外な展開だった。開催都市を決める選挙は過半数を獲得した都市がない場合、最下位を落とし、過半数を得る都市が出るまで投票を繰り返す。3位で1回目を通過した東京はシカゴの18票分を取り込んでの逆転を期した。

だが、2回目の投票ではシカゴ票を全く取り込めなかったばかりか、1回目から2票減らして敗退した。「1回目は東京、2回目は別の都市」と複数の都市と取引していた委員がいたと考えられる。こうした票のやりとりは、IOCの投票では珍しいことではない。

8月下旬に東京都庁で開かれた東京招致委員会出陣式。元首相の森喜朗氏は壇上での挨拶で屈辱のコペンハーゲン総会を振り返った。「シカゴに勝った、オバマに勝ったとバンザイした後、惨めに2票減らして負けた。帰りの飛行機で、あの強気な石原(慎太郎・前東京都知事)さんが『こんな悔しいことはない』と泣いていた」

衆院選に無敗で14回当選の森氏でも、IOCの選挙については「今、何票持っているかなんて誰にも分からない」。選挙に強い森氏や石原氏でさえIOC委員の投票行動はまったく予測できない。

■現委員103人、IOCと人脈作り就任へ

現在、IOC委員は103人。経歴は王族、貴族、元メダリスト、実業家、医師、弁護士など様々だ。現会長のジャック・ロゲ氏はベルギーの貴族で、整形外科医。セーリングで五輪出場の経験を持つ。出身地を大陸別にみると欧州44人、アジア23人、米州18人、アフリカ12人、オセアニア6人。国や各国五輪委員会(NOC)の意向を受けて選ばれていると思われがちだが、それはまったくの勘違い。決めるのはIOCだ。

オリンピック憲章では、委員の責務として「自らの国および自らが働くオリンピック・ムーブメントの組織において、IOCおよびオリンピック・ムーブメントの利益を代表し推進する」と定める。IOCが各国NOCに特使を派遣していると言い換えてもよい。

自国での五輪開催にかかわったり、各国際競技連盟(IF)やNOCで活動したりすることを通じてIOCとの人脈を作り、委員就任への道が開かれる。かつて権勢をふるったアントニオ・サマランチ前会長(故人)時代は事実上、同氏の権限で委員が選ばれていたという。

■閉鎖的な世界、ファミリー意識強く

だが、98年末に発覚した02年ソルトレークシティー冬季五輪招致をめぐるスキャンダルを受け、選出方法はかなり変わった。IOC委員で構成する指名委員会が各国NOCなどから推薦のあった人物の適格性を審査して決める。定員は115人以内。個人委員は70人以内となり、各国NOCまたは大陸別NOC連合、各IF、現役アスリートからそれぞれ15人以内を選ぶ。

透明性は以前より高まったが、委員が委員を選び、解任できるのも委員だけという閉鎖的な世界は変わらない。それゆえに委員同士のファミリー意識は強い。匿名投票のため、出身国の政治的な影響を受けにくく、投票行動の軸になるのはそれぞれの価値観や互いの義理や貸し借りだ。私益の追求も否めない。ときにはその場の「風向き」で投票することもある。投票行動が読めないのは、投票の動機が委員によって異なるためだ。

 日本の現職IOC委員は東京招致委理事長(JOC会長)の竹田恒和氏1人。今回の五輪招致のライバルであるスペインは3人、トルコは1人だ。

■「基礎票を持つのはマドリードだけ」

スペインのIOC委員3人の中で著名なのがサマランチ前会長の息子、サマランチ・ジュニア氏である。IOC理事でもある同氏は国際近代五種連合の副会長として、20年夏季五輪で除外される競技の有力候補だった近代五種を五輪に残すよう動いた。2月のIOC理事会で近代五種は生き残り、代わりに除外候補となったのがレスリング。影響力の大きさがうかがえる。今回の招致レースで「基礎票を持っているのはマドリードだけ」といわれるのは、IOC内の人脈で質量ともにスペインが圧倒しているからだ。

日本でも知名度が高いIOC委員は、陸上男子棒高跳びの世界記録保持者、セルゲイ・ブブカ氏(ウクライナ)だろう。IOC理事でもある同氏は今回の総会で実施されるロゲ会長の後任を選ぶ会長選に出馬した。五輪を研究する首都大学東京の舛本直文教授によると、6人が立候補する会長選の本命はIOC副会長のトーマス・バッハ氏(ドイツ)。弁護士で、76年モントリオール五輪のフェンシング金メダリストである。

7月上旬にローザンヌで開かれた20年夏季五輪の立候補3都市によるIOC委員への非公開プレゼンテーションでは、IOC委員から3都市にあまり質問は出なかったという。舛本教授は「質問が出ないというのは、開催都市選挙にはあまり興味がないということ。今のIOC委員の関心はもっぱら次のボスが誰になるか。関心は会長選に集中している」とみる。

■会長選の結果予測から逆算し投票か

それゆえ、今回の総会では「10日の会長選の結果予測から逆算し、7日の20年五輪開催都市と8日の20年五輪実施競技の選挙の投票先を決める委員が多いのではないか」と舛本教授はみる。例えば「新会長は欧州出身のバッハ氏が有力だから、五輪開催都市は欧州を外しておこう」と、東京にとって有利になるバランス感覚が各委員に働く可能性もあるという。

とはいえ、東京ばかりに有利な状況とも言い難い。会長選にはセルミャン・ウン氏(シンガポール)と呉経国氏(台湾)のアジア出身者2人が立候補している。ただでさえ欧州中心主義のIOCである。先に決まる20年夏季五輪の開催都市がアジアの東京になれば、その後の会長選でアジア出身者は選ばれにくい。2人を支持する委員は東京への投票を避ける可能性が高くなる。舛本教授は「開催都市、新競技、会長選の3つの選挙が複雑に絡み合うため、今回の招致レースの行方は普段よりもさらに読み解きにくい」と話す。


国家元首かかわった都市が招致成功

では、このような状況でIOC委員の心をつかむには?

舛本教授は「最近の招致レースを制した都市の共通点は、いずれも政治のトップが招致にかかわっていた」と指摘する。12年夏季五輪の開催都市を決めた05年シンガポール総会ではパリが本命といわれた中、ロンドンは当時のブレア英首相を引っ張り出し、総会直前まで多くのIOC委員と接触を図って巻き返した。

14年冬季五輪の開催地を決める07年のグアテマラでの総会に出席したプーチン・ロシア大統領の周りには多くのIOC委員が集まり、「握手してくれ」「一緒に写真を撮ってくれ」とせがんだという。ソチが開催地に決まったのは、プーチン大統領の総会参加と、IOC公用語である仏語と英語を駆使したプレゼンテーションがIOC委員に強烈なインパクトを与えたためだともいわれる。

■王族や貴族が多く王室好きな委員

かといって、単に国家元首を担ぎ出せば有利になるわけではないのがIOC委員の心理の複雑さだ。16年夏季五輪の開催都市を決めた09年コペンハーゲン総会にはオバマ米大統領が登場したが、「警備が厳しくなり、IOC委員の行動が制限された。これが委員たちのひんしゅくを買い、本命のシカゴが最初に脱落する一因となった」(舛本氏)。

王族や貴族が多いIOC委員は王室好きが多い。今回の招致レースで当初は苦戦していたマドリードスペイン王室のフェリペ皇太子をロビー活動の顔に据え、有力候補に浮上。7月の候補3都市によるプレゼンでは同皇太子をプレゼンターに起用し、IOC委員に好印象を与えた。

ミズノ相談役の上治丈太郎氏は、8月のバルセロナでの世界水泳の会場に行った際、フェリペ皇太子がロビー活動する場面に出合った。「皇太子が現れた途端、会場にいたIOC委員たちが一斉に盛り上がった。ロンドンの時は(サッカー選手の)ベッカム、ソチの時はプーチン大統領とのツーショットを委員たちはせがんだ。皇族やベッカムプーチンのオーラには結局かなわない」

■「選ばれたスポーツ貴族」の特権意識

IOC委員の猪谷千春氏は著書「IOC オリンピックを動かす巨大組織」でIOC委員の素顔について、「己の主義、主張を優先する。自分の存在感をいかに示し、言葉は悪いかもしれないが、自分を高く売ろうとする」としている。数々のエピソードや証言を総合すると、ミーハーだが、「自分は選ばれたスポーツ貴族である」という特権意識が強く、「主役はあくまでも自分たち」という高いプライドを持つ。こんな委員像が浮かび上がる。

IOC委員の気質を踏まえ、東京も3月のIOC評価委員会来日の際は皇太子殿下がIOC評価委メンバーと接見。7日の最終プレゼンでは安倍晋三首相もプレゼンターを務める。前回16年招致のときよりも、IOC委員の心証を少しでもよくしようと手を尽くしてきた。

■投票前の祝勝会はタブー、反感買う


くせ者ぞろいのIOC委員にはタブーも多い。その一つが、投票前の祝勝会。猪谷氏は同著の中で「五輪招致をめぐるドラマ」として06年冬季五輪の開催都市を選んだ99年のソウル総会を挙げる。シオン(スイス)とトリノ(イタリア)が最終選考に残り、直前までは「シオン強し」の空気が支配していたという。「ところが、ある情報がそんな空気を一変させた。投票日の前夜、シオンが大々的に祝勝会を開いたというニュースだった。IOC委員たちの反感を買ったのは言うまでもない」(猪谷氏の著書より)。結局、トリノが逆転勝利を果たした。

 12年夏季五輪招致で本命といわれながら敗れたパリも投票前に前祝いのようなパーティーを開いたことがIOC委員に不評だったという。「開催都市を決めるのは自分たち」という誇りを抱くIOC委員にとって、立候補都市が自分たちの勝利を事前に決め付けるかのような前祝いを開くことは許し難いらしい。

■「3都市が横一線」、心の緩み戒める

直前の“失策”でIOC委員の心証を損なうと、一気に流れが変わる面もある招致レース。森氏は東京招致委の出陣式での挨拶の最後に「東京都、JOC、招致委のみなさん、まさか7日の翌日に祝勝会などと書類に書いていないでしょうね。そういう言葉が一つでも出てくるようでは、心の緩みになるんです」と引き締めた。

「3都市が横一線」といわれる今回は前祝いを催すような余裕のある都市は見あたらないが、7日の投票日とその前後にどんな逸話が生まれるのか。