倒閣って・・・
三木降ろしと菅降ろし(産経新聞 2011年6月19日)
菅直人首相がなかなか辞めない。良く言えば我慢強い、悪く言えばしぶとい。いずれにしても、すぐに辞める気配はない。 6月2日の内閣不信任案の採決をめぐっては、盟友だったはずの鳩山由紀夫前首相にまるでだまし討ちのような策を弄してまで延命を図った。さらに、同じ内閣の仲間だった仙谷由人官房副長官や前原誠司前外相らが早期退陣に言及しても、なお辞めない。 最近、菅首相に会ったという人は、「まったく辞める気なんてないようでした」とまで言う。菅首相は、常人の域をはるかに越えた何とも強靱(きょうじん)な精神力をお持ちのようだ。いや、それとも、ただ鈍感なだけか…。 辞めない首相といえば、昭和49年から51年まで政権の座にあった自民党の三木武夫首相を思いだす方も多いだろう。当時を知る本紙政治部OBは、「『辞めない』と言っている首相を辞めさせるのは、そんなに簡単なことではない」と口をそろえる。 昭和51年のロッキード事件発覚後、三木首相は真相究明の態度を鮮明にし、同事件関与の疑惑がかけられていた田中角栄前首相の周辺をはじめとして、自民党内から激しい「三木降ろし」の動きが起きた。さらに、同年7月に田中前首相が逮捕されると、8月に当時の自民党議員の3分の2を超える277人がつどって「反三木」の挙党体制確立協議会(挙党協)が発足、退陣圧力を強めた。 しかし、三木首相はほとんど孤立状態だったにもかかわらず驚異的な粘り腰をみせ、退陣要求を拒絶し続けた。結局、三木首相は対抗手段としての衆院解散・総選挙に踏み切ることができなかったものの、挙党協側も退陣に追い込むことができず、衆院が任期満了となる同年12月まで三木首相の続投を許すことになった。 菅首相も、党内の多くの議員から早期退陣を求められている。「三木降ろし」と同様の政治環境にあると言っていい。 ただ、大きく異なる点がある。当時の三木首相は政治浄化を進めるクリーンな存在として知られ、自らの続投を主張する大義名分があったことだ。 今の菅首相はどうか。続投の大義名分は東日本大震災復興と原発事故の処理だろう。だが、いずれの問題でも、これまで成功を収めてきたとはいいがたく、統治能力に疑いがある。それでも菅首相が政権にとどまることが国益に合致するかどうか…。 |