「菅直人を好きではない」・・・って好きなヤツってどれくらいおるんか?

【読み解き鍵】「菅は好きではない」でも解散か総辞職に誘うZAKZAK 2011年7月29日)


6月2日、衆議院において菅内閣不信任決議案が否決され、最近、西岡参議院議長などが、再度の不信任決議案の提出に言及している。憲法69条は、「内閣は、衆議院で不信任の決議案を可決し、又は、信任の決議案を否決したときは、衆議院の解散か、総辞職」と規定する。

つまり、【不信任決議案の可決】ばかりではなく、【信任決議案の否決】も、同じく解散か内閣の総辞職の効果が生まれる。冒頭の分類に従えば、(1)菅総理を「嫌い」が不信任決議案の可決を(2)菅総理を「好き」が信任決議案の可決を(3)菅総理を「嫌いではないが、決して好きではない」が信任決議案の否決を、それぞれ意味する。

要は、菅総理を「嫌い」「不信任」とまで言う必要はなく、「好きではない」「支持するとはいえない」という多数意見によって「信任決議案」を否決でき、解散あるいは総辞職の効果を生じさせる。

民主党衆議院議員にすれば、先の不信任決議のごとく、「菅総理を嫌い=不信任」とは言い難い。同じ党である以上、積極的な全否定につながる表現は避けたい。

しかし、現在の政治情勢のもとでは、多くの民主党議員は、少なくとも「菅総理を好きではない=支持するとはいえない」との意見になろう。

菅総理が、自分に対し、「嫌い(不信任)」という完全な消極評価を突きつけられなければ辞職する必要がないと思っていれば大きな誤解である。少なくとも、「好きではない」という程度でも、総辞職の効果が発生し得るのである。

ちなみに、法律の世界に「権利の濫用」という理論がある。信任決議案を大多数で否決された菅総理が解散権を行使することは「権利の濫用」とも言える。同一会期に不信任決議案や信任決議案は2度出せないとの国会慣例がある。

しかし、その慣例に法的根拠がない。さらに、その他の法案ならともかく、三権分立の根幹をなすこの種の決議案を(どちらか)一度だけに限定するのは不合理である。今後、通年国会があり得るとすれば、不合理性は明らかであろう。

大震災後の日本社会はいわば砂時計状態にある。無為無策状態のまま、無慈悲にも砂は落ち続けている。嫌われなくとも、「好きではない」という議員と国民が大多数を占めれば、菅総理の席はもはや撤去されることになる。

衆議院菅直人を本気で好きなヤツって半分もおるんか?
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