菅外交の失敗は「空白、弱腰、空回り」

総括「菅外交」 空白、弱腰、空回り…3つの失敗産経新聞 2011年8月21日)


月内にも退陣する菅直人首相。米軍普天間飛行場沖縄県宜野湾市)の移設問題で迷走した鳩山政権の後だっただけに、日米関係など外交立て直しを狙ったが成果なく、逆に米国から不信を買う始末。加えて、周辺国が日本の領土を脅かすのを傍観するなど散々だった。「外交は苦手」と自認していた通りとはいえ、約1年3カ月の「菅外交」は失敗だらけだった。(酒井充)


末期の外交空白


菅首相の最大の失敗は6月2日の「退陣表明」後、約3カ月間に及ぶ外交空白を生み出したことだ。

具体的な辞任時期を明言しないままズルズルと居座り、9月前半の訪米、同月下旬の国連総会、10月の訪中と外交日程が続く秋に向け布石を打ち続けた。外交の継続性を理由に外遊日程を確定させて延命を図ろうとしたようだが、「一度辞める意向を示した首相をまともに相手にする国はない」(外務省幹部)ため、いずれも調整は難航。終盤では北朝鮮訪問による起死回生も画策したが、すべて実現しなかった。

深刻なのは対米関係。首相は外交の基本方針を「日米同盟が基軸」と強調し、6月に普天間飛行場の名護市辺野古へのV字形滑走路での移設に合意した。だが米側の不信は別の形で表れた。3月11日に発生した東日本大震災東京電力福島第1原発事故への対応のまずさだった。

「ゆすり発言」で3月に更迭されたケビン・メア元米国務省日本部長は新著「決断できない日本」で「由々しき危機に際して、日本のリーダーには決断力や即効性のある対応をする能力がない」と断じた。

大震災・原発事故で国務省の対日支援特別任務班として約1カ月間奔走したメア氏は事故発生後の数日間、菅政権が「米国の助力は必要ないといった態度だった」と暴露。米政府が3月16日に藤崎一郎駐米大使を呼び出し、「日本政府が総力を挙げて原発事故に対処するよう異例の注文を付けた」とも明らかにした。

首相は4回、オバマ大統領と会談したが、社交辞令的な内容に終始。公式訪米は震災対応や政局の混迷で2回も先送りされた上、同盟深化のための共同宣言発表も実現できなかった。


逃げ腰の首相


尖閣諸島竹島北方領土で日米同盟弱体化の虚を突くように領有権主張を強めた中国、韓国、ロシアへの対応も後手に回った。

昨年9月の沖縄・尖閣諸島沖の中国漁船衝突事件では日中関係悪化を恐れ、逮捕した船長を処分保留で釈放。政治判断があったことは明らかなのに「那覇地検の判断」と責任を押し付けた。さらに首相は中国との融和を図るための首脳会談実現に腐心。昨年11月に胡錦濤国家主席との会談にこぎ着けたが、冒頭にメモを読みながら話す失態で「媚中」の印象を決定づけた。

こうした弱腰姿勢は、ロシアや韓国にも付け入る隙を与えた。メドベージェフ大統領の国後島訪問は、在モスクワの日本大使館が確度の高い情報を首相側に伝達しており、首相は大統領に直談判することができたが、何ら策を講じず、河野雅治駐露大使の「更迭」でお茶を濁した。


国際公約も空回り


根回しもなく突然構想をぶち上げてはみたものの、実現の方策を示さずに尻すぼみになる−。こんな首相の政治手法は外交でも多くの汚点を残した。

首相は5月、パリでの経済協力開発機構OECD)総会で突然「太陽光パネル1千万戸設置」を披露した。「脱原発依存」を国際社会にアピールする狙いだったが、所管の海江田万里経済産業相らにも知らせないパフォーマンスに批判が噴出。実現の時期や方策も明示せず、言いっぱなしに終わった。

積極的に関与し、成果と誇っていた昨年10月のベトナムでの日本企業による原発受注も、原発事故後に「脱原発依存」を表明してうやむやに。昨年10月には環太平洋戦略的経済連携協定(TPP)参加に意欲を示し、1月の「ダボス会議」で「6月までに参加の結論を出す」と公言したが、これも「嘘」となった。国際社会での約束は「日本政府の約束」となるだけに、定見のない首相の思いつきのツケは重い。

首相は在任中、外国に計7回出張した。サミットなどの国際会議ばかりで、単独訪問は1回もなく、単に決まっている外交日程をこなしただけだった。就任直後の所信表明演説で「受動的に対応するだけでは外交は築かれない」と高らかにうたった菅外交は絵空事に終わった。

日本の政治というのは首相にいる人間に振り回されるシステムだからね・・・
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