オウム新法

(7)団体存続「違和感ある」 元検事総長・但木敬一さん産経新聞 2011年11月18日)


「今すぐ、来い!」

平成11年9月8日朝。官房長官野中広務氏(当時)から、法務省官房長だった但木(ただき)敬一(けいいち)さん(68)に呼び出しがかかった。

当時、強制捜査(7年)後も存続するオウム真理教の封じ込めが、社会の課題となっていた。

政府は、オウムに対し、団体を強制的に解散できる権限を持つ「破壊活動防止法」(破防法)の適用を請求。だが、“伝家の宝刀”といわれる法律の要件の厳しさなどのため、9年1月に公安審査委員会が請求を棄却していた。

教団施設が建つ地域の住民からは政府に対し、「殺人集団に、国は何もできないのか!」といった不満が噴出していた。

請求棄却後、破防法の適用条件を緩和する議論があった。しかし、「市民、労働団体も対象になりかねない」という反発が強く、政府は苦慮していた。

首相官邸官房長官室に到着し、野中氏が現れるまで約15分間。かねて抱いていた「新法」の構想を7、8項目に分けて、手持ちのメモ用紙に書きなぐった。

「新法をやるとしたらこんな枠組みですかね」。メモを渡すと、「よし、これでいこう」。

“オウム新法”とも呼ばれる「団体規制法」が誕生した瞬間だった。条文に「サリンを使用するなどし…」などの表現を入れ、事実上の観察対象をオウムに絞った。

但木さんは「法律がどんな形であるかは、住民にとってはどうでもいいこと。不安におびえる住民に対し何もできないのは、申し訳なかった」と振り返る。

ただ、破防法適用をあきらめ、新法を作らざるを得なかったことには、ためらいもあった。

7年3月22日の強制捜査。「思いも寄らないことが現実になった」。法務省の執務室のテレビで見た、物々しい捜索風景が脳裏に焼き付いた。

次々と明らかになる凶行に「破防法を適用できなければ、破防法は何のためにあるのか」と思い続けた。

政府が破防法に基づく「解散指定」請求を決断した際(7年12月)は、法務省の官房秘書課長。当時の宮沢弘法相が朝から夜まで大臣室に籠もり事件の全記録を読み、破防法の請求に腹を固め、慎重派だった当時の村山富市首相を説得していく姿を見ている。

それだけに、9年1月の公安審の請求棄却には、「世界の非常識」と忸怩(じくじ)たる思いがある。「日本は権力の行使に謙抑的すぎる。いい面もあるが、危機管理に極めて弱いお国柄だ。無差別に人を殺害した団体の存続を認めるのは日本だけでしょう」

議員立法として成立した、教団資産を被害者救済に役立てるための「破産特別措置法」などの制定に際しても、法務官僚として積極的に支えた。

「オウムとの対決を恐れず活動する弁護士らがいた。その人たちのために省益は考えずに役に立ちたいと考えた」

自らがかかわった団体規制法に基づく調査で確認された、国内の現在のオウム信者は約1500人。

「オウムが生きながらえていることに違和感はある。ただ、新法ができて住民の不安を和らげることができたのではないか」。複雑な思いが交錯している。


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