民主党副幹事長の辻恵と検察審査会の役割(民主党のご都合主義)
陸山会事件:小沢氏起訴相当 揺れる民主 小沢氏辞められず、首相は切れず(毎日新聞 2010年4月29日記事)
「司法の在り方を検証・提言する議員連盟」の初会合も28日、国会内で開かれ、民主党議員十数人が参加。事務局長の辻恵衆院議員が「国民感情で簡単に被告席に着けていいのか」と審査会を批判した。 |
陸山会の事件について検察審査会が小沢一郎に対して起訴相当議決が出た後で、民主党副幹事長である辻恵はこのように検察審査会を批判しました。
しかし、辻恵が所属する民主党は2004年に発覚した自民党橋本派の日歯連闇献金事件では2010年の時と違っていました。
橋本元首相ら不起訴は不当。永田、辻両議員が検審に申し立て(ウェブ魚拓)
審査申立書提出後の会見で辻議員は「1億円という大金を2年にわたってうやむやにしてきたわけだが、一会計責任者の権限でそんなことができるわけはない」として、旧橋本派の政治団体会計責任者の起訴をもって事件を幕引きしようとしている姿勢を批判。 |
○辻恵 民主党の辻恵でございます。 第二東京検察審査会が(橋本龍太郎ら自民党幹部に対し)不起訴不当だという結論を出したことは、国民の常識に沿った極めて妥当な議決の内容だろうというふうに思います。そういう意味で、非常に重たい意味を持っていると思います。 国民の常識に沿って物を考えるという立場からすれば、総理自身、この議決の内容について、やはり総理としてのお立場としての意見があり、リーダーシップを発揮する前提としての認識があると思うんですね。その点についてお答えいただきたいと思います。 ○小泉純一郎 検察がこれからどういう判断をするか、どういう捜査をするか、それを我々は待つべきではないでしょうか。 ○辻恵 そういう話では、木で鼻をくくったような回答でしかないんですよ。 この予算委員会でこの議論というのは、政治と金の問題を議論する、予算委員会であるから国会の立場として議論するために今ここでやっているわけですよ。ですから、例えば橋本元首相の証人喚問をどうするのか、これは政治家としてリーダーシップをとる立場で御自分の意見を述べるべきなんですよ。その前提として、この議決の内容についてどういう認識を個人としてお持ちなのか、このことを聞いているんですよ。 国民の常識を反映させるという立場にお立ちでありながら、自分の都合の悪いと思われる結論については口をつぐむというのは、全く態度としておかしいんじゃないですか。 (中略) ○辻恵 東京新聞の一月二十八日の朝刊でありますが、橋本氏らの不起訴不当について、久間自民党総務会長、法律を知った人と知らない人の違いではないか、法律を知らない人なんだからこんな決定が出るんだと。だからこれは、言外にそれは妥当でないんだということを言っているんですよね。 自民党総務会長が、まさに国民の意思を反映することに背反する、それに水をかぶせるような発言をしているんですよ。 |
○辻恵 政治と金の問題は今、国民の九割の皆さんが関心を強く持っている。先日の検察審査会の(不起訴不当の)議決の決定について、橋本元首相や野中、青木両氏について、不起訴処分にしたのはおかしいじゃないかという声が満ち満ちているわけであります。こういう中で政治不信がますます大きくなっている。この問題について、やはり国会の責任、議会の責任としてこれははっきりしなきゃいけない、そういう意味でこの集中審議の場があるんではないでしょうか。 |
○辻恵 この百六十二通常国会で、二度にわたって政治と金の問題について、小泉首相を初めとして質疑をさせていただきました。非常に失望をいたしました。議論にならない。 東京第二検察審査会の(不起訴不当の)議決についてどう受けとめるのか、政治家として自分の意見を言ってくれというふうに言っても、はぐらかして、言わない。普通、政治家であれば、重く受けとめますというのが当然の結論であります。しかし、重く受けとめるというふうに言うと、何で重く受けとめるのか、重く受けとめてどうするのか、そのことを言わざるを得ない。したがって、その重く受けとめるという言葉を決して吐こうとしない。一般論で終始する。逃げを打つ。 |
しかし、小沢一郎の場合は「国民の常識で起訴するのはおかしい」「軽い意味を持つ」「政治家として重く受け止めない」ということになり、「この問題について、やはり国会の責任、議会の責任としてこれははっきりさせない」と国会での真相解明に否定的見解を出し、「国民の意思を反映することに背反する」ことをしています。
- 「1億円という大金を一会計責任者の権限でできるわけはない」
→ 「一会計責任者の権限で4億円という大金を不記載にできる」 - 「国民の常識に沿った極めて妥当な議決」
→ 「国民の感情で簡単に被告席につけてしまっていいのか」 - 「非常に重たい意味を持っている」
→ 「重たい意味を持たせてはならない」 - 「不起訴処分にしたのはおかしいじゃないかという声が満ち満ちている」
→ 「起訴相当にしたのはおかしいんじゃないか」 - 「普通、政治家であれば、重く受けとめますというのが当然の結論」
→ 「政治家であれば、軽く受け止めますというのが当然の結論」 - 「政治不信について国会の責任としてはっきりしなきゃいけない」
→ 「政治不信について国会はうやむやにしていい」
本当に180度変わってしましましたね。ちなみに、小沢一郎に対しては「起訴相当」でしたが、橋本龍太郎らに対しては「不起訴不当」議決にすぎませんでした。
辻恵にとって、自民党政治家への不起訴を批判する議決をする検察審査会はいい検察審査会、小沢一郎様への起訴を肯定する議決をする検察審査会は悪い検察審査会なのでしょう。
世間ではこういうのをご都合主義と言います。辻恵の検察審査会への評価が2004年と2010年で180度変わったことは、鈴木宗男への対応が2002年と2009年で民主党の対応が180度変わったのと同じです。