空白の一日

1978年11月21日、ドラフト会議前日に江川卓読売ジャイアンツが選手契約を結びました。

確かに野球協約上を文言通りに解釈すれば、読売の主張は間違ってはいなかった。司法闘争しても勝利することは可能だろう。しかし、ドラフト制度という球界の合意をないがしろにした抜け駆け契約であったため、世間からボロクソに叩かれた。

ドラフト制度に一石を投じるとドラフト会議をボイコットをしたが、結果としてドラフト会議での4人の指名を放棄し、10人のドラフト外入団も活躍したのは鹿取くらい、エース小林をトレードで放出し、江川が開幕から2ヶ月出場自粛というペナルティ。巨人はドラフト制度に反する形で抜け駆けで江川を獲得しようとしたことについて、かなり多くの代償を払ったのではないでしょうか。
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