北朝鮮の独裁者である金正日が死亡

継母に激しい憎悪、派手な女性関係…金総書記の生い立ち産経新聞 2011年12月19日)


金正日総書記は1942年2月16日、中朝国境の白頭山(中国名・長白山)の秘密野営地で、父親の故金日成主席と同じパルチザンだった母親、金正淑氏の長男として生まれた。

ただ金総書記の出生地については諸説あり、金日成主席が旧ソ連ハバロフスク郊外で、抗日パルチザンとして旧ソ連極東偵察部隊で特殊訓練を受けているときに誕生したという説もあり。

また出生年についても、以前は「41年生まれ」と発表されていた。だが、父の還暦などの節目と合わせるため82年以降、「42年生まれ」に変更している。金日成金正淑夫妻の間には、金正日総書記の2歳下に二男、シューラ(4歳のとき池で水死)、4歳下に長女、金敬姫氏が生まれている。

金王朝」と揶揄(やゆ)される一族の系譜は複雑だ。母親の金正淑氏は49年、金正日総書記が7歳のときに死亡。朝鮮民族は母子の絆が強いことで知られ、まだ母親に甘えたい盛りに生母を失ったことは、金総書記に大きな衝撃と悲しみを与えたことは想像に難くない。

父親の金日成主席は金正淑氏の死後、秘書の金聖愛氏と63年に再婚。しかも2人は正式に婚姻関係を結ぶ前にすでに1女2男をもうけており、金正淑氏の死去後、母親の知人の女性に金正日金敬姫は預けられるなどして父親と一緒に暮らすことはなかった。

そのため金正日総書記は父親を奪った金聖愛氏に激しい憎悪を抱いていたとされ、継母を一度も「お母さん」と呼んだことがなかったとされる。これが「猜疑心(さいぎしん)が強い」(亡命した北朝鮮の元高官)という金総書記の性格を形成していったものとみられる。

継母や異母弟の金平日氏らを徹底的に疎む半面、実妹である金敬姫氏をかわいがった。妹など身内には多大な信頼を寄せ、金敬姫氏を労働党幹部として取り立て、夫で義弟の張成沢氏も重用し党の要職に就けたほか、国防委員会副委員長にも抜擢(ばってき)した。

一方、金正日総書記の女性関係は派手だった。3回の結婚のほか、内縁の妻も複数いたという。初婚の相手は大学時代の恋人の洪一茜氏で、1女をもうけた。続いて元タイピストの金英淑氏と再婚し、子供が1人。元女優で人妻だった故成恵琳氏(02年死亡)との間に長男、正男(1971年5月10日生とされる)が生まれたが、内縁関係のままだった。

高英姫氏(04年死亡)との間には二男、正哲(1980年9月25日生)、三男、正恩(1982年1月8日生)のほか1女(1987年9月26日生)がいる。高英姫氏は金正日総書記に最も愛された女性で、金総書記は、高英姫氏や3人の子供たちと過ごす時間が多かったという。

高英姫氏が死去した後は、金正日総書記の個人秘書、金玉(キムオク)が事実上の妻だったとされる。金総書記の訪中に同行する姿も目撃されている。そのほかにも、かつて「喜び組」のメンバーであった女性との間に子供がいるとの情報もある。

北朝鮮の独裁者である金正日が死亡しました。
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