オウム真理教による東京都庁郵便物爆発事件


《午後1時59分、オウム真理教による平成7年の東京都庁郵便物爆発事件の被害者で、当時の都知事秘書、内海正彰さん(63)が証人として入廷してきた。紺色のネクタイを締めたスーツ姿で、裁判官と裁判員の方に軽く会釈をした後、しっかりした足取りで証言台に立った。先に入廷していた菊地直子被告は表情を変えることなく、内海さんを見つめている。午後2時、公判が再開される》
裁判官「名前は?」
証人「内海正彰です」
裁判官「嘘は言わないという宣誓をしてもらいます」
証人「真実を述べ、偽りを述べないことを誓います」
裁判官「緊張しているかもしれませんが、落ち着いて、できるだけ大きな声でゆっくり答えてください」
《検察官による質問が始まる》
検察官「平成7年5月17日の爆破事件の被害者ですね」
証人「はい」
検察官「どんなけがを負いましたか」
証人「左手の指全部と右手の親指を失いました」
《検察官が、当時の都知事秘書をしていた内海さんの経歴を確認し、勤務内容の細かい質問を始める》
検察官「どんな仕事をしていましたか」
証人「知事に対する陳情、手紙を承って知事に渡す、中身次第では事業局に渡すことをしていました」
検察官「他には?」
証人「郵便物だけでなく、直接来た人の面談もありました」
検察官「勤務時間は?」
証人「午前9時から午後5時15分まで。知事が帰らなければ残っていますが」
検察官「来客にはどんな人が来ましたか」
証人「右翼が3分の1、共産党系が3分の1、残り3分の1がおかしなことを言う人。1割くらいはまともな人もいました」
検察官「便箋やはがきはどう確認を?」
証人「開封して中身を見て、ちゃんとしたものなら知事秘書に渡していました」
検察官「(郵便物を集配する)交換から来たものは?」
証人「交換から(知事秘書室のある)7階にまわしてもらい、私が知事に渡していました」
検察官「その中に今回のものがあった?」
証人「はい」
検察官「今回の被害の前に危ない目に遭ったことは?」
証人「ないですね」
検察官「金属探知機など事前に確認する方法は?」
証人「ありませんでした」
検察官「開けてみないと分からない?」
証人「はい」
《しっかりした口調で、検察官の質問に答える内海さん。検察官からの質問はここから今回の事件自体の内容に移っていく》
 検察官「今回は交換から送られてきた書類の中にあったものですが、交換から来たのは午後3時半ごろだった?」
証人「はい」
検察官「知事宛てだった?」
証人「はい」
検察官「その郵便物はどこにありましたか」
証人「女子職員の机の上に置かれていました。通常は女子職員が開封しますが、その日は都知事が委員会に出席していて、女子職員も厨房(ちゅうぼう)に立っていて、手つかずでした」
検察官「ご自身が開封しましたか」
証人「彼女がいなかったので、開封して自分で振り分けをやろうと」
検察官「郵便の確認はいつからやっていますか」
証人「夕方過ぎでしょうか」
検察官「自分の席で?」
証人「はい」
《ここで検察官が知事秘書室の間取りをスライドで法廷内の大型モニターに写し出し、内海さんが座っていた席を確認した》
検察官「封筒の様子で気になった点はありますか」
証人「知事宛だとあて名がありますが、かなり乱雑でまじめに出したものではないという印象でした」
検察官「開けないとしようがなかった?」
証人「はい」
検察官「そのときの様子は?」
証人「たまたま苦情の電話があって、電話を受けながら開封作業をしていました。どうしようもないような内容だったので『はいはい、わかりました』と答えながら」
《内海さんは、受話器を頭と肩にはさみ、椅子に反り返るように座って開封作業をするしぐさを見せる》
検察官「今、していただきましたが、背中は反り返るような感じだったのですね」br>証人「はい」
検察官「右手には、はさみ?」
証人「はい」
検察官「開封はどのように?」
証人「開けて、中身を引き出して、扉を左手で開きました」
検察官「最初は何だと思いましたか」
証人「振ってみると、カタカタという音がしたのでカセットテープかなと思いました」
検察官「開けてどうなりましたか」
証人「パンッと乾いた爆発音とともに爆発しました」
検察官「爆発したと分かってどうしましたか」
証人「左手の指がちぎれて骨も見えました。右の親指が皮一枚でつながっている状態。死ぬのかどうか考えましたが、あまり出血はなかったので死ぬことはないだろうと」
検察官「痛みは?」
証人「記憶にないです」
検察官「他のけがは?」
証人「顔にも爆弾の破片があったと聞きました。細かいやけどもありました」
《応急処置をしている途中、交換の女子職員が来たという》
検察官「何と言いましたか」
証人「『君じゃなくてよかったね』と言いました。若い女性なのでこれから結婚、出産といろいろあるだろうと思ったんでしょうね」
《その後、内海さんは病院に搬送され、手術を受けた。仕事に復帰したのは8月1日だったという》
検察官「仕事への支障は?」
証人「細かい資料を扱うのが難しくなりました」
検察官「日常での不便は?」
証人「ネクタイは結ぶことができないので家内が…。小銭を扱うのも難しいし、子供と十分遊べなかったです」
《平成7年の東京都庁郵便物爆発事件に関与したとして、殺人未遂と爆発物取締罰則違反の幇助(ほうじょ)罪に問われた教団元幹部、菊地直子被告(42)に対する裁判員裁判の初公判では、左手の指をすべて失うなどの被害を受けた元都知事秘書、内海正彰さん(63)に対する証人尋問が続いている》
《内海さんは一つ一つの記憶を確認するように、落ちついた静かな声でしっかりと受け答えしている。法廷内は静寂に包まれ、杉山慎治裁判長はじめ、傍聴人らもそのひと言を聞き逃すまいと身を乗り出すようにしている》
検察官「障害者認定は受けていますか」
証人「3級です」
検察官「重度障害とされる1級、2級に続く重さですね。事件のその後の捜査などで、爆弾の模型を見たことはありますか」
証人「現場検証のときだったか…警察官から何気なく模型を手渡されたことがありました。ちょっと持っていて、というような軽い感じでした。私も受け取ろうとしたのですが、模型を見た瞬間に反射的に投げ出してしまいました」
《検察官はその時の様子をさらに詳しく聞いていく。どのように手を出したのか、どの方向に投げ出したのかなどが明らかになるにつれ、わずか一瞬のうちに記憶に刻まれた恐怖を思い知らされる》
《左手の指をすべて失い、仕事や趣味もままならなくなった内海さんの複雑な思いも明かされていく》
検察官「お子さんや奥さんとやりたかったのにできなくなったこと、ご自身のことでも、残念な思いや不便な思いをされたことはありますか」
証人「うちは子供が男の子でしたから、『キャッチボールができないね』と話したことがありました。私は趣味でギターを弾いていたのですが、それもできなくなりました。知事秘書室というのは事務職の中では、ある程度危険な仕事だと思っていますが、それでも、ついてないな、と思うことはありました」
検察官「危険な仕事というと?」
証人「クレームだとか苦情の電話だとか、そういうものもかかってきますし、よく分からないものが送られてくることもあります」
検察官「では、ついてないというのは」
証人「そもそも都庁の中で爆弾事件が起こるなんて、それもついてない。ただ、あの日は苦情の電話に対応しながら開封しました。警察からは相当強い爆発威力だったと聞きました。ほかの作業をしながらでなければ、この程度のけがでは済まなかったかもしれない。そう考えると何とも複雑な心境です」
裁判員らは一様に眉間にしわをよせたり、ため息をつくようなしぐさをしながら聞き入っている。一方、菊地被告は背筋を伸ばしたまま、視線を下に向け微動だにしない》
検察官「爆発の威力をおぼえていますか」
証人「私の机はスチール製だったのですが、それが大きくへこんでいました。2メートル以上の高さがある天井にも、破片が突き刺さっていたと聞きました」
検察官「もし、膝の上で開封していたらどうなっていたでしょう」
証人「足は吹き飛んでいたと思います」
検察官「のぞき込むようにして開封していたら」
証人「顔を直撃されてだめだったでしょう。かけていた眼鏡にも破片が刺さっていましたから、眼鏡がなければ失明して仕事も失っていたと思います」
《検察官は質問を重ね、内海さんの当時のやるせない心情を明かしていく》
検察官「オウムの犯行と知ったのはいつでしたか。それを聞いてどう思いましたか」
証人「病院のベッドの上でニュースを聞いて知りました。がっかりしました」
検察官「がっかりというのはどういうことですか」
証人「都庁で起きたことですから、都政に対する不満によるものかと思っていました。それが、全く関わり合いのないオウムの犯行と聞いて、がっかりしたのです。捜査攪乱(かくらん)の目的だけでこんなことをするのかと、理解できなかったし、考えても仕方ないと思うようにしました」
検察官「爆薬を運んだ菊地被告に対して思うことはありますか」
証人「特にありません。ただ、十数年逃走していたということは罪の意識はあったはずですから、そういう意識があるならば、しっかり償うことが人の道だと思います」
うわ、ひどい。こんなことになってたなんて初めて知った。